心の道場

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さて、昨今の世相といいますと、少子高齢化、格差問題、犯罪の低年齢化などなど、人情は薄れ、地域コミュニティは崩壊し、まさに末世的様相を呈しております。
そのような社会の中、寺の役割というものを考えたとき、果たして「寺」は本来の社会的役割を果たせているのだろうか?人々の救いとまではいかなくとも、不安や恐れを癒し和らげる手助けになっているのだろうか?と常々考えておりました。

幸い、当寺には絶え間なく人々が訪れ、思い思いに楽しんで帰っておられます。

ただ、その楽しみが単なる楽しみで終わってしまわぬように、そこで得られる「何か」を感じとっていただき、俗な言い方ではありますが、「よりよい生き方」を自ら問うてゆけるように、と願って止みません。

ここに来られた方々には「あなたはあなたのままいい」というような他人事、軽薄さではなく、「あなたはあなたのままいい」と言えるような温かい、互いに寄り添うような関係を築いていってほしいのです。
そんな中で、損得でも上下でもない、「これが私の生き方なんだ」といえるような信念、美学を各々に見つけ、気付いてゆけるような、そのような場所にしてゆきたいのです。

それは本でもTVでも、もちろんインターネットでも得られるようなものではありませんし、ここで言葉を語り尽くしたところで説明できるような簡単なものではありません。
そんな簡単に答えが得られるほど、「ひとのいのち」というものは粗末なものではありません。

それぞれが「感じ」「考える」ことでしか得られない「何か」をここで見つけてください。
あなた自身がすでに持っている「何か」に気付いてください。
偉そうなことは申しません。私自身もみなさんから教え、気付かされているのです。

 

一緒に悩み苦しみませんか。

一緒に楽しみ喜びませんか。

 

 ここ、興願寺はそういう場所です。

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