普段、何気なく「法事」という言葉を使っていますが、四十九日であったり三回忌であったり、これは正確にいうと「法要」といいます。
法要には三事あり、「仏事」「法事」「僧事」の三つがあって初めて「法要」といいます。
俗にいう「法事」とは、その三事のひとつのことなんです。
ひとつひとつ順に解説してゆくと・・・
「仏事」・・・文字通り仏様のことです。家庭でいえば仏壇と、そのお飾り(お荘厳といいます)のことです。
「法事」・・・「法」つまり「教え」です。お経やお説教のことですね。
「僧事」・・・「僧」ですからお坊さんのこと・・・ではなく、そこに集まる人々全員のことです。
もちろん、あえて「法要」という言い方をしなくても大丈夫です(笑)普段は「法事」という言い方でかまいませんし、間違っているというわけではありませんから。
つまり「法要」とは、先祖(仏)から頂いたご縁をもとに、大切な教え(法)を味わい、その時間をみんな(僧)で共有するということです。
たとえば三回忌の法事(この言い方のほうがしっくりくると思うので)の場合、故人が亡くなって丸々2年経つわけです。
その間にみんな色々なことがあったでしょうし、確実にふたつ年をとっています。
みなさん毎日鏡は見ますか?昨日と比べて今日はどうですか?どこか変わっていますか?
たぶん昨日と今日の違いはわからないと思います。けれど確実に変わっているはずなんです。
人って、時間の流れとか変化とか、何か区切りがないと気付かないものなんですよね。
「法事」って、そういう役目もあるんです。
葬式のときはまだまだ小さかった赤ん坊が、いつの間にか歩くように、しゃべるようになった。
ちょっと見ないうちに、えらい太った。とか。
そこに集まったそれぞれに色んな物語があるわけです。
そしてそれは亡くなった故人から引き継いだ物語でもあるのです。
ただ、お坊さんを呼んでお勤めしてもらえばいい。やらないといけないから、とりあえず済ませておく。
「法事」って、そんな粗末なものじゃないんです。
私たちお坊さんのお経を聞いても、ちっとも意味がわからない。じっと静かに座っておくのもしんどい。当然だと思います。
ですが、そこに皆で集まり、互いの物語、時間を共有しあえることの有難さを噛み締めながら法事を味わってほしいのです。
説法(ご法話)に耳を傾け、亡き人の「いのち」とそのご縁を通して、それぞれの生き方、いのちの在り様をもう一度考えてみる。自ら問い直し確認してみる。
そこに本当の法事の意義があるのだと思います。
そして、お勤めが終わったら、みんなで会食し、故人の思い出や、その間の出来事などの話に花咲かせてください。
上の話とはあまり関係ありませんが、人が亡くなって丸二年を三回忌というのを不思議に思ったことはありませんか?
これは葬儀を一回忌と数えているので丸一年経った「むかわれ」の法事が二回忌、丸二年の法事が三回忌なんです。
ただ、丸一年の亡くなってから最初の法事を二回忌と呼ぶのもなにか気持ち悪いので「一周忌」と呼んでいるんですね。